昼寝好男のブログ

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『J・エドガー』 〜映画レビュー〜

映画

ハリウッド娯楽映画を期待して観に行くと、見事に期待を裏切られる。

映画の主役、J・エドガーは、日本人にはFBIのフーバー長官と言われた方が、どこかから記憶が蘇ってくるのではないだろうか。エドガーは、自身の信念に基づいて、政府から独立した機関であって時の政府の介入を許さず、大学を卒業した知能の高い者だけを採用し、先進的な科学捜査を重要視するFBIを作り上げていく。

映画はその過程を「回顧録を口述筆記するエドガー」とともに追っていくが、けっしてエドガーを英雄として扱ってはいない。清濁併せ持ち、弱みやコンプレックスを持った等身大の人間として淡々と描いていく。彼が思い出している過去をそのまま鵜呑みにしないよう、時折、口述筆記の場面に戻って、タイプライターを打っている若者が現代の視点から疑問を差し挟む場面まで用意されている。

英雄としても描かず、かといって必要以上に人物に感情移入せず、映画は進行していく。エドガーの現存する記録から取捨選択して採用しているのだろうし、脚色だってあるのだろう。しかし、どんな記録でも事実の一面を照らしているに過ぎないことを思えば、この映画は実にフェアにエドガーという人物を再現しているように思える。

映画には、アメリカにおける1919年以降の歴史的事件が多数登場する。解説もなく出てくるので、これらに関する知識があれば、もっと映画を楽しめるだろうが、知識が必須というわけでもない。

安易な感情移入を許されないまま、たくさんのエピソードが脳にインプットされる。ラスト30分、これまでに脳にインプットされたエピソードと、エドガーの晩年の姿が反応し、観客それぞれの、個別の感想を喚起する。どういう風に印象づけたいという狙いはないように思える。観客ひとりひとりが印象を作り上げてくれと言わんばかりだ。僕は、人の一生とは、そういうものなのだという気がした。

僕はけっして映画を多く観る方ではないし、監督や役者の知識も乏しい。それでも、ディカプリオは知っている。この映画でのディカプリオの演技は素晴らしい。早口で吃りのあったエドガー役になりきっている。彼に対する印象を覆す映画でもあった。