昼寝好男のブログ

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『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』,マイケル・サンデル 〜 読後レビュー 〜

2010年に出版され、かなり話題になった本。ベストセラーになった本なので気軽に読めるのかなと思って読み始めたが、頭を働かせて読まないときちんと理解できない。とはいえ本書が取り上げている内容の難易度を考えたら、豊富な具体例を提示しながらわかりやすく説明している。まさしく名ガイドといってよいだろう。

こんな思考実験がある。暴走列車を運転している運転手がいる。目の前に5人の作業員がいて、このまま直進すれば5人の命が失われることがわかっている。ところが、手前に退避線があり、そちらに進路を切り替えれば5人の命は救われる。だが、その退避線の先にも1人の作業者がいて、そちらに進路を切り替えれば1人の命は失われる。さて、どうしたらいいのか?

さて、追加の思考実験がある。今度は退避線は存在しない。暴走列車の先には、やはり5人の作業員がいる。このまま直進すれば5人の命が失われる。この線路を見下ろす位置に橋が架かっていて、あなたはその上にいる。隣に巨漢が一人いる。あなたは彼を突き落したら電車が止まり、5人の作業員が助かることを知っているものとする。さて、どうしたらいいのか?

2つの事例は、どちらも5人の命と1人の命を比較するものだが、同じ結論は出せない。それはなぜなのか?

こんな話から始まって、サンデルはベンサムの功利主義を解説する。功利の最大化という、学生のときに習ったやつだ。著者は次にベンサムの功利主義では対応できない事例を指摘し、J・S・ミルの功利主義へと移る。しかし、サンデルはミルが成そうとした論理を慎重に検討した後、ミルの理論は破たんしていると断ずる。

続いてリバタリアニズム(自由至上主義)について概観し、やはりその思想の限界を示した後、ベンサムを真っ向から批判したカントの思想に移る。カントによる自由は我々が普段使っている自由とは違うことが示され、カントの道徳観に分け入っていく。そして定言命法に基づいて自分に課した義務こそが最高道徳だという、この本における最大の難所を解説する。

カントは政治論については多くを著していないが、この思想を引き継いで政治論に繋げたジョン・ロールズの解説に進む。無知のベールを被って仮想の契約をするという話が出てくる。

ところが、カント/ロールズの理論も、あるいはそれに連なるリベラル派の理論でも、うまく説明できない事項が紹介される。そして、時代を遡ってアリストテレスのテロスの話が始まる。まず目的をきっちり定義した後でないと、正義とも不正義とも言えない事例があることが示される。

ここまでの解説は素晴らしいが、読者は戸惑うことになる。結局、すべての事例に取り組むための統一理論なんてないのではないか?読者がそう感じたら、作者の思う壺なのだろう。ただし、ここまでの内容だけで完結しており、もしもこの本がここで完結していたとしても十分、読むに値する本である。

この先の話だが、まず著者は戦争責任の話を出してくる。自分たちが直接関与していない、数世代前の人がやった戦争に対して責任を持つというのは、どういうことなのか、と問う。

そこでマッキンタイアの理論が紹介される。自分の人生というのは一冊の本の中に記述されつつあり、そこには自分の人生だけではなく、何世代も前の祖先や、社会や国の記述もある。その全体の物語の中で自分の人生が位置づけられており、基本的に自分は自由であるが、しかし全体の物語の中での制約は受けている。そんな比喩でマッキンタイアの理論が紹介される。彼と彼に連なるいわゆるコミュニタリアンの思想は、哲学とは無縁のわれわれの実感にとてもよく合致する。しかし、それは明確で強固な支えのない混沌の世界のように見える。悪く言えば、振り出しに戻った感がある。良心的に見れば、現代に至る思想の系譜を知っていて、敢えてコミュニタリアンに傾くのと、何も知らずに直感的にコミュニタリアン的考え方をするのは違うのだろう、たぶん。

最後の最後で消化不良をおこす本ではあるが、読むに値する本であることは間違いない。

最後に、著者のサンデルは、市場勝利主義に疑念を持っており、正義や美徳に基づく政治的な経済制御をやるべきだという信念を持っている事を申し添えておく。