昼寝好男のブログ

日々の経験から役立ちそうな内容を綴ります

『ブラック・レイン』 〜映画レビュー〜

映画

松田優作のハリウッドデビュー作にして遺作となった映画。映画の冒頭、アウトロー役なら任せろとばかりに、マイケル・ダグラス扮する主役刑事の見せ場がある。渋いなぁ、着実な演技だなぁ、などと思って見ていると、松田優作扮するヤクザが登場する。その鬼気迫る形相に釘付けになる。正直言って、主役であるマイケル・ダグラスの影が薄くなってしまうほどだ。松田の迫真の演技が一区切りついたとき、ゴクリと唾を呑みこんだ。

この映画の撮影時、松田は自分が癌であることを隠して演技に臨んでいたという。延命治療も断っていたそうだ。何が彼をそんなに駆り立てたのか知る由もないが、鬼の形相の松田に圧倒されたのか、撮影中に脚本が幾度となく書き換えられ、第二次世界大戦、アメリカによる一般市民への無差別攻撃の落とし子として生まれた悪の権化、「佐藤」という強烈なキャラクターが出来上がった。

映画の題名、ブラック・レインは、アメリカの爆撃によって黒い雨が降ったというエピソードの中で語られる。どんなに正当な戦争であっても、必ずどこかで罪のない人たちが犠牲にされ、悲劇の連鎖が生じているということを、映画の中でごくあっさりと、チクリと刺す。こういう演出は、ハリウッド映画のお手のものだが、大衆映画であってもこういう相対的な視点を失わない点に高いプロ意識を感じる。もちろん、アメリカを卑下するばかりではなく、組織の一員となって自分を殺して動くことを美徳とする日本のやり方を揶揄することも忘れない。組織の力に迎合し、自分が本当に大切にしなければならないものを忘れてしまってはダメなんだと、マイケル・ダグラス扮するアウトロー刑事が言葉ではなく体で手本を示す。

血で血を洗う抗争に巻き込まれ、一時は報復だけを目的として行動していたアウトロー刑事が、(映画のなかで心理描写はばっさりと省かれているものの)松田扮する佐藤を殺さずに逮捕したところに、映画の題名ブラック・レインは伊達ではないと感じさせるものがあった。興行収入第一のハリウッドにあって、限られた自由度の中で自分たちが表現したいものを追い求める映画スタッフの姿が垣間見えたような気がした。

ブラック・レインがアメリカで公開された1989年の晩秋、松田優作は死去した。佐藤役を決めるオーディションにおいて、荻原健一、根津甚八、萩原流行らを相手に回して役を勝ち取った松田が残した演技は、観るものの心を震わせる。