昼寝好男のブログ

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21世紀になってもセノンの逆理は解けていない?

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セノンの逆理というものがあります。セノンはいくつかのパラドックスを提示していますが、その中でもアキレスは亀に追いつけないというパラドックスが最も有名です。どのようなパラドックスか、Wikipediaから引用します。

あるところにアキレスと亀がいて、2人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らかなので亀がハンディキャップをもらって、いくらか進んだ地点(地点Aとする)からスタートすることとなった。

スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)。アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む(地点C)。同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。

このパラドックスを知っている人の多くは、このパラドックスがアキレスが亀に追いつくまでの有限時間を無限級数で表現したものに過ぎないと考えていると思います。

ところが、少なからぬ数の哲学者がセノンの逆理はまだ解けてないと、21世紀になった今でも主張しているのです。たとえば中島義道氏はそのように主張していますし、熊野純彦氏もそういった主張に理解を示しています。これらの哲学者は、けっして理系音痴なわけでもなさそうです。

どうして哲学者はセノンの逆理が未解決だと考えているのでしょうか。それがずっと疑問でした。最近になって、つまるところ哲学者たちは「無限回の手続きが有限時間内に終わるのはなぜか?」という問いを発しているのではないかという気がしてきました。

アキレスが亀に追いつくまでの時間を表現した無限級数は有限値に収束します、その「収束」は無限の加算が有限時間に終わることを保証しているわけではありません。どこまでもその収束値に向かって近づいていくと言ってるだけです(そもそもそれが収束の定義になっている)。

僕たちが「アキレスが亀に追いつくまでの時間を無限に分割しているだけの詭弁だ」と言うのに対して「だからなぜアキレスは亀に追いつくのだ」と哲学者が反問しているという構図になるわけです。

こうした見地から見てみると、哲学者がわからないと言っている理由がわかった気がしてきませんか?